2011年05月30日
墓参

彼が死んだのは二月だった。
ご遺族の意向もあり葬儀には行かなかった。誰かが声をかけてくれなければ、こうして現地に向かうこともなかっただろう。
在学中から疎遠であったのに、今更どの面さげて悼めると言うのか。
結局私は、墓前に立つ前に小説をものすることができなかった。
卒業後も時折連絡をくれ、静岡まで会いに来てもくれた先輩がいた。Pというこの先輩が、段取りをつけてくれた。
当日になっても、わからないままだった。
墓を見て、墓碑を見て、確かに彼の名が刻まれていて、順番に墓前に立ち(言いたい事を皆言ったろう)、墓を洗い、線香を供え、手を合わせ、手を合わせ、手を合わせ、
何してんだよ、と、思ったのは背を向けてからだったと思う。
墓前ではともかくも、ゆっくり休め。また飲もう。と声をかけたんだと思う。
なんだか苛々した。
この日集った人たちのうち、P氏以外はほとんど十年ぶり、卒業以来に会ったのだ。
こんな、こんなことがきっかけでの再会なのだ。
人の和を大切に、していたあいつを思い出したのだ。こんな、まさかこんなことで、俺がこの人たちを再会するきっかけを作ったんじゃないだろうな。俺が失くしかけた輪をつなぎとめたんじゃないだろうな。
実際そんなことはないはずだ。あいつの人生も十年進んでいたのだ。大学連中を集めようなんてことを、考えていたかどうかなんて。そんなことはないんじゃないか。大学祭に行っていた、そこで集まればいいじゃないか。「集まろうぜ」と声をかければそれでいいんじゃないか。
私は、その声からも離れつつあった。だから余計に、そんな自意識過剰を考えてしまった。苛々する。
あいつの意識の、どこか隅に、大学時代の記憶の残滓の端っこに、もしかしたら、私がいたんじゃないか、って。
手前勝手なことを考えてしまう。
それほど、私にとって、この再会は大切なことだった。
墓参りの前日に現地入りし、酌み交わした。
この人たちが自分にとって如何に大事な人かを痛感する酒だった。
十年という時間が完全に巻き戻り、みんな二十代前半の気分で飲み進めてしまうという間違いを犯すほどに、いい時間だった。
空白になった十年を取り戻すことはできない。
でもこれからの時間をつなぐことができるようになった。
だからこそ。
苛立つ。苛立つ。
一人足りないじゃないか。
おまえが足りないじゃないかよ。
馬鹿野郎。何先にいってんだよ。
おまえのおかげだと言いたくなるような、あまりにもおまえのおかげのようなことだから、
だから絶対言ってやらない。思ってやらない。
おまえが取り持ったなんて絶対認めてやらないからな。
悔しかったら文句言いに来い。
ちくしょう。 続きを読む
Posted by ギマ at
22:44
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